- わが社の守護神さま
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2014.05.15 Thursday
わが社の神様は社長室でお守りしています
伊勢神宮と生魂神社のお札を初めとして、三輪明神そして今宮戎神社を祭っています。
商売繁盛と社員の安全を祈り朝晩のお勤めを欠かせません。
一刀彫の戎さまは武内家のご先祖が明治時代に手に入れたもので100年以上の代物です。
明治の初めに呉服商を創業し3代、昭和30年まで父がお守りしてきたものを当社を創業した折に
田舎から頂いてきて毎日欠かさずお祀りしてきました。
おかげさまで創業47年大きな事故もなし毎日有り難く経営させて頂いています。
達磨さんは新年今宮戎詣で買った物で当年の目標祈願を記して神棚に飾っています。
又、奈良の三輪神社は水に関わる神様として化粧品、薬品そして食品関係の容器に
関わるため毎年新入社員を連れてお詣りに訪れています。
以前当社の容器が不具合をきたしたとき営業全員でお詣りし無事祈願をした後見事に
解決したことが有りました。
真面目に謙虚に仕事に励めば結果が付いてくるものと信じて日頃を励んでいます。
- 新緑の奈良三題
- 大川端を観桜する観覧船
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2014.04.14 Monday
4月の初め天満橋の大川端を桜を背景に悠々と外輪船が下って行きました。
当日この天満橋のOMMビルで開かれた関西美容産業フェアーに出展した当社のコーナーを見に行く途中での素晴らしい景観でした、毎年このころは天気がよく川沿いの桜は満開です。
今年の出展のテーマは当社のセレクション容器のパールホワイトシリーズの宣伝でした。
「白い輝きでさらなる高級感を演出する着色容器」は黒い背景をバックに来場者の関心を集めました。
ポンプ付容器からクリーム用ジャーまで50種類余りを載せたカタログは素晴らしく訪問者の好評でした。
是非ともこのカタログのお取り寄せをご希望ください、希望される容器と一緒に送らせていただきます。
- 桜の花も満開になりました
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2014.04.01 Tuesday
お昼の休みに近所の大阪城まで散歩に行きました、桜は満開です。
平日のせいか観光客は外国人が多く人出も多く賑やかでした。
お城の花見は今秋一杯が見ごろと思われます、週末はまた寒さがぶり返すようです。
日本の桜とお城の調和はいつ見ても絵になる風景です、青空をバックに写したら誰でもきれいに写りますね。
大阪城は今年で400年を迎えるそうです、今年と来年にかけてイベントがあるようで旗指物がはためいていました。
太閤秀吉さんが築城し江戸期250年を経て今日も蒼然とそびえている様は大阪人から見て誇らしい気持ちです。
当社のビルはこの大阪城の大手門から上町筋を南に歩いて10分程度のところにあります、またそのまま南に行くと天王寺さん、そしてその先には先日開業した高さ300米のハルカスもそびえています。
この上町筋は大阪の背骨と言われ、南北に走る高台で古代の昔より盤石な土地です。
従って大阪城の南隣には飛鳥時代に難波の宮があり宮殿の礎石もあります。
この地にある当社のビルの6階には容器の展示場もありますのでぜひご覧いただければ光栄です。
- 桃の花が咲きました
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2014.03.31 Monday
3月も終わりの土曜日、奈良万葉カントリークラブで桃の花が綺麗に咲き誇っていました。
今年は遅くまで寒さが続き先日まで梅の花が咲いていましたがその梅の木に並んで桃の花が満開でした。
今年の春は異常気象のせいか寒さが厳しく例年になく厚着をしたかと思うと先週のようにポカポカ陽気で
セーターをチョッキに替えてゴルフをしていました。
今月は消費税が上がるためかお取引先様からの通常ならぬご注文が多く運送便を探すのも大変なくらいの繁忙でした。
有り難いことですが来月以降の出荷も昨年並みであれば幸いと念じています。
明日からは新年度の4月に入ります景気の本格的な回復を期待して気を緩めずに頑張りましょう。
- 枝垂れ梅が咲きました
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2014.03.03 Monday
待ちに待った我家の枝垂れ梅が今年も咲いてくれました。
例年に比べて見事な咲きばえです。
梅の枝は春が過ぎ暖かくなるごろには葉だけになります、そして梅の実がついてきます。
今年は沢山の実がなることでしょう、たくさん取って梅酒にすれば何升くらい採れるか楽しみです。
実を採ったら枝先を切ってあげて風通しを良くして幹についたてんとう虫のような赤虫を削いで上げます。
小さな庭の一角に30年ものあいだ春の訪れを知らせてくれるこの枝垂れ梅は我家の誇りです。
梅は凛と咲き桜は艶やかに色香を放ちます、もう一月もすれば満開の桜を眺められることでしょう。
日本の春はもうすぐそこに来ているように思います、日本に生まれて幸せなひと時を皆さんとご一緒に愛でましょう。
- 梅は寒苦を経て清香を発す
- 徳川家康 峠越え
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2014.02.15 Saturday
織田信長が本能寺の変で明智光秀に殺されたことは通説になっています。
ところが伊東潤著のこの本では、徳川家康を亡き者にするため織田信長と明智光秀が語らい計略を立てたものを事前に家康の知るところとなって家康は回避して助かり、誤って光秀は主君信長を殺める結果になったと描いています。
この原因は信長の他人はおろか側近さえも信用しない独り善がりな性格が招いたミスであり、反面家康の用意周到で我慢強い性格が良い結果を招いたと言う説です。
本能寺の変を確認し家康が奈良から伊賀越えして伊勢に逃れる道中の苦難は読んでいて手に汗を握る想いでした。
徳川家康は「人生は重き荷物を背負い急な坂道を登るがごとし」と言われています、この本を読んでよく理解いたしました。
なお日経夕刊で「天下家康伝」を連載しています、これも楽しく読んでいます二つの小説を併読すればもっと家康に興味がわくでしょう。
- 桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿